Ethereal

戻れなくなったあの時代には

ふうまくんとほくとくんとわたし

 部屋とYシャツと私みたいになってしまった(狙ったところもある)が、とにかく眠れないのでぼちぼち書いている。おたく関連の長い文章を書くのはそんなに頻繁ではないので筆が慣れない感じはあるが、基本的に書くことは好きなので気を紛らわせるにはいいかもしれない。

 
 去年の12月に担降りをしたのだが、あれよあれよという間になんかDDみたいになっていた。嘘だろ。わたし降りてから自担の現場まだ1度も行ってないぞ。なんのために降りたのか。まあそれは、さておき、わたしは近年この菊池→松村→菊池(たまに高地中島)界隈を永遠に行ったり来たりする亡者と化しており、なんかもう、亡霊なのである。ここまで来たらもうなんか執念というか、意地でもここから離れられないという感じがあるのだ。別に隠していたわけではないけどなんとなくそういうことが言いづらいのは、きっとあれからもうたくさんの時間が経ってしまったからで、別に戻ってほしいとかまた見たいとかそれじゃなきゃ愛せないとかそういうことではないけど、ただ忘れられない、記憶に焼き付いて離れないというだけのことなので、そんなに声高に主張することもないかなと思っている節があるからです。
 
 しかしそんなわたしでもやっぱり新しいものは好きなので、ハイハイにわいたりB少年にわいたり関西ジュニアにわいたりして毎日それなりに楽しく過ごしていたりはする。今は訳あって現場をお休みしているけれど、きっと秋になったらまたどこかに現れるだろうしその先も延々やってると思う。気が遠くなるような長いサイクルで、似たようで同じでない萌えを何度も繰り返しながら時間だけはちくたく前に進んでいて、でもそういうのは嫌いじゃない、と思う。ただこれまでは確信をもって1番好きな人はこの人!って言えていたのに、今はそうじゃないから、すこし、ほんのすこしだけちょっと不安だ。わたしはこれからどこへ行こうとしているのか。あるいはどこにも行かないでこのまま漂い続けるのか。
 
 そもそも担降りをしたばかりではないかお主、という指摘、ほんとにまことにその通りで、言い訳できそうにない。ふうまくんごめんね。でも決してふうまくんに飽きてしまったとか、嫌いになってしまったとかそういうことではなくて、というか今さら飽きるとか嫌いになるとかない、ふうまくんのことはもう充分飽きたし嫌ったし、これ以上飽きられないし嫌いになれません。ふうまくんという透き通ったお餅の中でわたしの気持ちが飽和して溶けきれなくなって、それはそれは甘ったるくて胸くそ悪くておええってなるんだけれど、でもだからって降りるとかいう問題じゃないところまでは来てしまっている。わたしにとってふうまくんって何なのか?そしてほくとくんとは。そしてB.I.ShadowとはSixTONES とはSexy Zoneとは。
 
 ただ一つ言えることは、わたしは最初にふうまくんを好きになったときも、北斗くんを応援すると決めたときも、セクゾがデビューしたときもSixTONESができてからも、1度もこれらの問いに答えを見つけられたことはなかったということです。ただふまけんは宇宙だし、ゆごほくはマザーアースだということはなんとなくぼんやりわかっていた。すいません変なこと言って。夜中なので許してください。とにかくその強烈なエネルギーだけでなんとなくおたくやってきたみたいなところ、大いにある。もちろん数学じゃないんだし答えなんか出なくたっていいんだけど、人間って自分の愛してるものの本質がよくわかってなかったりするのに、よくもそんなに深く愛情を傾けられるよなあとか思う。まあいいんですけどね。あんまり考えないからこそ楽しかったりもするし。だけど、ほとぼりがさめてちょっと立ち止まってみたら、あれ?って、いうのはね、誰にでもあることだと思うのね。こんなに好きだと思ってたもののこと、あたしぜんっぜんわかってねえわ!っていう瞬間、断然ある。
 
 アイドルのことって、多分全部はわからないから楽しいんだと思う。それはそう。わかるわけない、だって生きてる人間なんだから、今日もふうまくんの細胞は次から次へ死んでは生まれて、少しずつ新しいふうまくんに生まれ変わっている最中なんだからね。そして新しいふうまくんはどんなだろう、って想像したりするのもわくわくする。だけど、あんまりにもヒントが少なすぎて、まったく予測できなかったり、脈絡のないことに直面したり、情報が少なすぎたりすると、わたしたちは興味を失ってしまう。このバランスというかさじ加減が難しい。1番大好きな人のことはなんでも知りたいけどなんにも知りたくなくて、丸ごと大好きだけど丸ごと嫌いだったりする。なんとなくそういうふたつの相反する気持ちの中で、わたしはあまり深く知ろうとしないことを選び、自分の中でB.I.shadowとは、という疑問に蓋をしたのだ。
 
 っていう文章が下書きに残っていた。なんだこれ。でもわたしの中でようやく最近になってほくとくんに対する気持ちに整理がついたところでもあるので、そのご報告というか記録のために続きを書いてみようかなと思います。
 
 この夏、ふうまくんはTDCホールにB.I.Shadow4人を集めた。4人が公式の場で集まるのはあれから初めてではなかったけど、今回の様子は前の時とは明らかに違っていたことがレポを読んでいるだけでもわかった。まずTwitterにレポを書いてあげているおたくの受け止め方から、メンバーひとりひとりの気持ちから、他のSixTONESメンバーの反応まで、以前にはないものだった。そして景色が違うのはふうまくんが変わったからだ、と誰もが知っていた。ふうまくんはひとつ上のステージへのぼってしまったのだ。多くの人がそんな生まれ変わったふうまくんのことを微笑ましいとばかりに見守っている。しかし、ふうまくんはただ変わってしまったのではなかった。と思う。この目で実際に見てないからわからないけど、わたしはふうまくんは自分が成長したからってこちらを微塵も振り返らずにただ前だけを見て進んでいくタイプではないってずっと思ってきた。今回に関してもそうだったと思う。
 
 ふうまくんは自分の意志で4人をTDCに集めた。そう、これは偶然ではなく、ふうまくんが自分でやったことなのだ。バックにSixTONESをつけることはふうまくんが選んだし、去年の夏同じ場所でふまけん雪解けの第一歩を踏み出したのもふうまくんだった。たぶん、ずいぶん前からふうまくんはこの問題に自分で片を付けなくてはいけないと思っていたのだと思う。どんなに偶然のように見せかけようとしても、これはふうまくんがやったことだし、どんなに予想外だという表情を作ってみても、これはやっぱりふうまくんが創り出したことなのだ。意図していたことかどうかまではわからないけど、おそらく計画的だったのじゃないかと思っている。ふうまくん、何事も結構考えて綿密に予定立ててやる人だもんね。そしてふうまくんがやらなければ、この問題は宙に浮かんだまましだいに曖昧になって、どこか取り返しのつかないところへ流されていってしまったことだろう。そういう意味ではもうなんというか、感謝しかない。ありがとうふうまくん。こんな過去を引きずりまくっているおたくをも救済してくれてありがとう。
 
 もうすでに結構個人的な内容に踏み込んでいるのですが、ここからさらにパーソナルになってくるので適当に切り上げてくださいね。わたしはジャニーズと自分の人生って無関係のように見えて実はとても深いところでつながっていると思っているので、おたくごとにおける担降りとかそういう大きな心境の変化は私生活にも影響してくると考えています。そのあたりのことを少しばかり。
 
 ほくとくんには、わたしと似ているところがあった。それはもうずっと、わかって応援していた。ほくとくんが頑張っているのを見ると、わたしも頑張らなくてはと思えた。ふうまくんの言ったらしい「お前らといると、俺はお前らじゃん?」という言葉が頭からなかなか離れてくれないのは、たぶんわたしがほくとくんに対してそういう気持ちを抱いて応援していたからだと思う。ほくとくんとSixTONESを応援しているとき、わたしは変わりたくなかったし、ありのままの自分でいたかった。自分と似ているところのあるほくとくんを応援することで、自分もこのままでいいのだと思えた。それは何というかとても癒される体験で、ほくとくんがいたからこそやり遂げられたこともたくさんあった。
 
 でも、わたしの細胞だって昨日から今日、今日から明日へ次々と生まれ変わっているわけで、たまには新しい自分になりたくなることもある。最近の東京のジャニーズJr.は長いことメンツが入れ替わることなく顔ぶれが変わらないで来た結果としてあるし、ユニットが乱立した現在ではさらなるメンバーの固定化が進んでいる。わたしは誰か知らない人に会いたかった。その時はそんなこと意識してたわけじゃないけど、今思えばきっと、変わりたくて仕方なかったんだと思う。ふまけんがそのことを教えてくれた。ある日わたしはMyojoのふまけん焼肉対談に出会って、雷に打たれたような衝撃で地下2階から地上5階まで階段で駆け上がった。そのしばらく後で、わたしは風磨担になった。
 
 初めてふうまくんを好きになったとき、わたしはちゃんとふうまくんと向き合わなかったと思う。逃げたのだ。納得がいってないんだろうなというのはなんとなくわかっていたけど、それをどうしてあげることもできなかったし、どういう気持ちで向き合えばいいかわからなかった。忙しかったのもあったけど、いつの間にかふうまくんの納得のいかなさがこちらにうつってきて、わたしのほうがふうまくんに納得がいかなくなってきた。なんでおたくがアイドルに気を遣わなくてはならないのか?とか、なんで簡単な振り一つ踊れないのか?とか、今だったら絶対思わないようなことでわたしは真剣に腹を立てていた。いつしかわたしはSexy Zoneを見るのをやめてしまっていた。見ているのがつらくなったからというのもある。今さらこんなこと言ってもどうにもならないんだけど、あんな状態だったからこそちゃんと見ててあげなくちゃいけなかったし、応援してあげなくちゃいけなかったのに、わたしはそっぽ向いてSixTONES見てた。その時のわたしにはセクゾが背負っていることはあまりにも大きすぎて、一緒に背負ってあげることはできなかったし、それを見つめていられるだけの精神力もなかった。ジャニヲタとして経験が浅かったから突然の事態に戸惑ってもいた。
 
 でもふうまくんはやっぱりかっこいい。去年風 are you? を見に行って思ったのだけど、やっぱりふうまくんはわたしが見ていない間もずっとかっこよかったし、これからもっとかっこよくなっていく人なのだ。セクゾは確かに大変だったと思うし、ふうまくんもいろんなことに悩んできたと思うのだけど、そんな逆境がふうまくんをブスにしたのではなかった。ふうまくんはちゃんと成長していた。成長しながら、かっこよくあり続けていた。
 
 負けたな、と思った。ふうまくんに先を越されたような気がした。もちろんほくとくんとSixTONESと過ごしてきた日々が無駄だったとは思わないけれど、もうそろそろわたしも次のステージに行く時かもしれない。そう思ってわたしはふうまくんの背中をまた追いかけ始めることにしたのだ。あの日よりもずっと大きくて頼もしくなったふうまくんの背中を、今も夢中で追いかけている。もちろんほくとくんにはすごく感謝している。良くも悪くもほくと担がわたしの担当最長記録なので、これからジャニヲタをやめてもやめなくても、ほくとくんのことだけはずっと記憶し続けるだろうと思う。でもそれとは別に、ちょっとだけ前に進んでみようと思っている。ふうまくんはいつも、「後悔のないように今を生きろ」というメッセージをくれる。元気の出る言葉だなあ。わたしもいつかふうまくんみたいになれるかな。誰かにそんなメッセージを与えられる、大きな背中の人になれるかな。
 
 1年前の夏のTDCで、わたしは夢をかなえたいと思った。ふうまくんからのメッセージはこうだ。
 「ここにいらっしゃるあなた方には魔法がかかりました。そう、あなた方は今、10年後、20年後の未来から戻ってきたのです。『ここ』を出たら、もう悔いがないように、あなただけの道を歩めるように。同じ今日を生きるあなた方に幸あれ」
 この1年間、わたしなりに一生懸命に歩いてきました。夢が叶うかはわからないけど、でももう後悔はないです。ふうまくんありがとう。わたしに夢を持たせてくれて、夢に気づかせてくれて、夢に向かわせてくれてありがとう。Sexy Zoneはわたしの夢です。わたしもSexy Zoneになりたいよふうまくん。変わっていくふうまくんを見て、Sexy Zoneになりたいですと宣言したふうまくんを見て、ここまで歩いてきたこと、そこらへんの1おたくにすぎないわたしのこの道のりこそが、わたしにとってSexy Zoneとは?の答えです。
 
 ここまで読んでくださった心優しい方にどうでもいい情報をひとつお伝えしておくと、実は最近関西に新しく好きな子ができました。これからどうなるかはわからないけれど、とにかく悔いのないようにやっていきたいな。今のところ担当にするほどのモチベーションはないので、とりあえずはふうま担のままです。でも人生何が起こるかわからないしね。これを読んでくださっているみなさんも悔いのないジャニヲタライフを送ってくれればいいなと思います。一度きりの人生だし、せっかくジャニーズに巡り会えたのだから。同じ今日を生きるみなさんに幸あれ。