Ethereal

戻れなくなったあの時代には

時をかける担降り

 菊池風磨くんに初めて出逢ったのは、NYC BoysのPVの中だった。だけどその時はその子の名前なんて知らなくて、前の3人と後ろの4人の違いさえよくわからなくて、ただなんとなく、前のほうには興味がないなって思ってた。ど真ん中、みんなが好きになるようなスーパースターはあんまり好きじゃなくて、背後の人たちは一体何なんだろうって思ってた。なんとなくジャニーズのイメージってキラキラで目立ってる人って感じだったけど、そうじゃない世界もあるのかもしれない。わたしのジャニヲタ人生はこれをきっかけにじわじわと始まり、同じ年に突然嵐担になった。

 

 初めてのドル誌を買った。隅から隅まで読んで、知らなかったジャニーズのこと、たくさん知って、嵐だけじゃなくて、ジャニーズっていいかも、って思い始めた。これがジャニーズJr.っていうんだ、って知ったりして。

 尊敬する先輩は嵐の櫻井くんです、って言ってる子がいて。ああこの子!ってなった。いたじゃん。山田くんとかが出てたあのPVに。なんていう子?いくつなの?みたいな感じで、知るようになった。毎月必ず嵐のページとB.I.Shadowのページはチェックして、それから少しあと、少年倶楽部なるものの存在を知ったりして。楽しかったなああのころ。知らないことを知っていく時ってわくわくするよね。こんなエピソードもあるんだ、こんな衣装があったんだ、こんなコンサートやってたんだって、自分の知らなかった頃のアイドルの話、わくわくする。それは嵐もそうだけどJr.も同じで。嵐の場合は情報量が膨大で結局追い付くことはあきらめてしまったけれど、Jr.にはまだそんなに過去がなくて、未来しかないような感じがして、新しい世界だなって思ったのを覚えてる。これからこの子たちにはいくらでもエピソードが、衣装が、コンサートが付いていくんだ、それを追いかける人がいるんだって思ったらなんか楽しそうで。すでにJr.担の素質があったのかな。

 

 結局B.I.Shadowとはなんなのか、その存在の持つ果てしない曖昧さともろさと十分に向き合ったとは言えないまま、わたしはちゃらんぽらんに嵐担を続けてた。だけどそんなに忍耐強いほうでもないから、すぐ飽きが来てしまう。そんなある日。

 デビュー、したんだ。

 デビューというものを目の当たりにするのが初めてで、どうやって反応するのが正解なのかわからないまま、デビュー出の新規というのをやってみることにした。これが風磨担1年生の始まり。ついでにセクゾ担1年生。初めての担降り。嵐と同じで人数は5人だし、なんとなく想像がつくような気もした。デビューシングルを買って握手会にも行った。書きながらあのクリスマスのビッグサイトゆりかもめの駅を思い出して懐かしさに殺されそうになる。

 いざ降りたらやっぱり風磨くんのことを全部知りたくて。今までどんな活動をしてきたのか、どんなものが好きでどんなものが苦手なのか、どんな発言があってエピソードがあって歴史があるのか、とにかく全部知りたくてできる限り調べた。そこで初めてわたしはB.I.Shadowというものの意味みたいなことを考えさせられることになって頭が混乱したりもするのだが、とにかく風磨くんという人がかっこよくて、Sexy Zoneはきらきら輝いていて、新規が楽しくて仕方なかった。国際フォーラムも行った。喜んで2ndシングルまでは買った。その先は買ってない。

 忙しくなってきてあまりおたくごとを考える時間がとれなくなってきたのもこの頃で、でもそんなのは多分言い訳なんだと思う、松村北斗くんに心を奪われたのも間違いなくこの頃だったから。わたしは紛れもなくバカレア出の永遠の新規だった。そう、掛け持ちというやつをやっていたのだ。若かったなあ。最初は怖くて仕方なくて、Jr.担なんてやったことなかったからどうすればいいのかわからなくてしばらく何もできなかった。少クラと雑誌ぐらいしか情報源がなかった。どうすればJr.を生で見られるのかわからなかった。まわりにもJr.担なんていなかった。でもそんな中でもしっかりちゃっかりお茶の間セクゾ担は続けていて、セクサマは買ってないけど好きになった(買えよ)。

 そんなこんなですったもんだあった後、本格的に忙しかった2013年はほとんどおたくごとはしていない。ほくじぇクリエの相場がやばかったことくらいしか覚えていない。リアセクなんて記憶がない。ぴんとこなは見てた。このあたりから本格的にセクゾがおかしくなり、見ているのもつらくなってしまった(堪え性のないおたくでごめん)。この年はだから、もうセクゾ担ではないようにも思われるのだが、この時はまだ気持ちの上では掛け持ちという体でやっていたような気もする。Twitterとかやってなかったので記録がまったく残っておらずこの時期のわたしが何を考えていたのかさっぱりわからないところが悔やまれるが、おそらく遅れてきたB.I担のようなものをやっていて、多分わたしは風磨くんから北斗くんに明確に降りた瞬間というのを持たないのではないかというのが最新の結論である。

 ところがどっこい、2014年に余裕が出たわたしは、セクセカを買ってしまうのである。担当以外にお金を落とさないシビアなジャニヲタであることに定評のあるわたしが。一体どういうつもりだったのだろう。降りたんじゃないのか。でもツアーは行ってないしGTOも見てなかったんだなあこれが。謎。でも今思えばGTOはかなり大きな分岐点だったはずだ。この頃くらいからわたしはかなりはっきりと菊池風磨が嫌いだった。見るのも嫌だった。風磨くんが楽しいと思っていることを一緒に楽しめなくなった。話もつまらないものに感じた。パフォーマンスも前みたいにキラキラして見えなくなった。ジャニーズのタレントに嫌いなんて思ったこと、それまでに一度もなかった。これはどういう気持ちなんだろうかと戸惑いながらも、わたしは平和に北斗くん一本に絞ることを決め、2015年1月のガムパから現場通いを再スタートさせるのである。

 今思えば、誰かをとてつもなく好きだと思うことと、誰かをとんでもなく嫌うことは、ほぼイコールだ。手越くんじゃないけど、その人のことを考えてしまうってことは、多かれ少なかれ関心があるってことだし、全然逃げきれてなんかいない。ちょっとライブがよかったとか、舞台がよかったとか聞くとなぜかとても悔しくて、できるだけそのことは考えないようにしていた。


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 そんなわたしの目を覚ましたのは、2016年夏のTDCであり時かけだった。風磨くんに対する嫌悪感は実はそんなに長続きしたものではなくて、だけどなんとなくそれから風磨くんの現場に行くのは避けていて、勇気を持って踏み出したのが4月の代々木、ウェルセクだったわけだけど、そこで特に何も起こらなかったのに安心して夏のTDCに足を運んでしまったのだ。そう、わたしはそれまで、何かが起こってしまうことを恐れていたんだ。風磨くんを生で見たら、また風磨くんを好きになってしまうんじゃないかって怯えてた。今考えたら、担降りを予測できなかったのが馬鹿みたいだ。こんなの王道コースみたいなものじゃないか。だけどその時はまったくそんなこと考えてなくて、風磨くんはきっとJr.の出番をたくさん作ってくれるだろうから北斗くんもたくさん活躍できるといいななんて思いながらグッズのヘアゴムを買ったりしていた。呑気なものだ。

 わたしは思うのだけど、風磨くんほど好きになるのが怖いジャニーズもまたいないんじゃないだろうか。だってなんか、爆モテなんだもん。北斗くんとは全然違う。今さらアイドルにリア恋なんてそんな体力もない。だからもし、もし万が一風磨くんに出戻ることがあるとすれば、その時はちゃんとリア恋じゃない、きちんとした自担の形で迎えられるようでなくてはだめだ、とこのコンサートの後にぼんやりと思った。きちんとした自担の形ってなんだよって感じだけど。一時的な感情に流されまいと必死だったなあ。この頃ですよ、8.25事件とかね。ふまけんに揺さぶりをかけられていた夏。

 だけどその一方で、ほんとはこんなのひと夏の恋だとも思っていた。少年たちが楽しみで仕方なかったわたしはそこでころっと北斗担の顔に戻って、それが最後の北斗くん現場になるなんて知らずに、いそいそと日生に出掛けて行った。わたしの夏はとっくに終わって、bio欄の場所を六本木→六本木と有楽町の間→有楽町→日生と帝劇の間と彷徨いながら、降りるなんて思わずに、だけど5周年のアルバムは買おうとしてた。不思議だよなあ。セクセカもそうだけど、どうしてセクゾのアルバムって買ってしまうんだろう。楽曲に対する信頼?買わせる宣伝?それともわたしがシングルは少しばかり無視しても生涯生まれついてセクゾ担だから?CDもペンライトもポスターも、全部捨てないで売らないでとっておいたのはいつかここに帰ってくるってわかってたから?わかってる、そんなのは後付けの理由にすぎないんだけどね。今思うと全てが繋がって見えるんだよ。

    ちょっと話がずれたけど。この後、10月に出たMyojoがわたしの世界を変えてしまうんだ。その事件の名もふまけん焼肉対談。

   雷に打たれたような衝撃だった。あれはだめだって。まじで。何回も何回もあの対談の内容を噛み締めては、初めて出戻ってもいいかもしれないと思った。自分で思っていたよりもずっと真剣な気持ちだった。2人なら、5人なら、ふまけんが一緒なら大丈夫な気がした。何が大丈夫なのか、よくわからないけど、すべてがうまくいく気がした。この日帰って時かけ見て泣いた。

    ソロコンに行った日、帰ってきたらSMAPの解散が決まっていたっけ。アンコールで聴いたバンバンバカンスが頭から離れなくて眠れなかったあの日からずっと、わたしの頭にあることはひとつだったんだと思った。セクゾがどこか遠いところへ行って大きなことを成し遂げるとき、わたしもそこにいたい。もし万が一セクゾに何かあったときは、わたしが近くにいたい。昨年は悲しいニュースも多かったけど、そんな時だからこそ新しい人を好きになれたし、一歩踏み出せたのかなと思う。好きな人はいついなくなっちゃうかわかんないんだ。今のうちに好きって言っておかないと、もう言えなくなってしまうかもしれないんだ。そういうことを特に意識してたわけではないけれど、昨年のジャニーズ界隈には全体的にそういう無言の気配があったと思う。みんなどこか焦っていて、不安で、何をあてにしていいかわからなくなっていた。そんなとき、わたしは菊池風磨という、新しい希望に再会した。

 

    風磨くんはあの夏、俺って誰なんだろう?っていうことの答えを探しながらあのライブを作ったと言ってた。最近の風磨くんを見ていると、まだ確信こそ持てないけど、何かを見つけたのかなって思う。あの夏の日、水道橋の小さな箱で、Sexy Zoneになりたいってはっきり言ってくれた風磨くんに惚れ直した。コンサートの最後に、過去をやり直すことはできないけど、未来ならやり直せる、みたいなメッセージがあって、その時はただ心うたれて呆然と立ち尽くしているだけだったけど、今ならその意味、もっとちゃんとわかるような気がするんだ。わたしの見たかった菊池風磨がそこにいた。待っていたその人だった。ネタバレも全部見て入ったのに、ぜんっぜん、ぜんっっっっぜん感動した。わたしの見たかったのはこれだって思った。これを追いかけていけば何かもっとすごいものが見られるんじゃないかという気がした。今からでも、未来をやり直せそうな気がした。そう確信したのが12月に入ってからで。ちょっと時間がかかりすぎたような気もするけど、これが今のわたしのありのままの気持ちです。

 

 恋を知らない2014年のわたしへ。未来で待ってるよ。